▼所在地:東海岸町1‐54
『杜の聲』第10号(令和元年12月吉日発行)
「地域の企業紹介 第6回」掲載(一部加筆訂正)
我が社は昭和13年に尼崎市潮江にて創業し、今年8月に81周年(令和元年当時)を迎えることが出来ました。
創立者である私の父、椋本哲次(享年百歳)は大阪立売堀の鉄鋼商社、山本東作商店(現在のカネヒラ鉄鋼㈱)で、丁稚の時分から奉公し、のれん分けにより関西鋼業所(個人)を興しました。
JR尼崎駅近くの線路沿いで手作りの小さなバラックで軍需関連の仕事に取り組み始めました。やがて徴兵により中国のハルピンに渡ります。疫病や銃弾、地雷等で周りの多くの人々が亡くなったという父の話を今も鮮明に覚えています。
終戦後、漸く日本の産業が復興し、昭和39年に東京でオリンピックが開催され、その3年後の昭和42年、我が社は尼崎市東海岸町にある尼崎鉄鋼団地へと移転します。
昭和45年には大阪万博、昭和48年と昭和54年には度重なるオイルショックに遭遇し、平成20年にはリーマンショックが起こります。まさに波乱万丈の時代を乗り越えて現在に至っています。
終戦前には軍需関連の仕事を、終戦後には産業復興向けの手引き鋸、カンナ、ノミなど木工関連の刃物から次第に金属切断用の刃物の製造へと移ります。時代の流れと共に刃物の需要も変化し、現在では道路用のカッター、食パンカッター、食肉用カッター、電子部品カッターなどを手掛けています。
10年前に需要のあったカッター等は10%以下となる変わり様です。
また機械設備も手動機械から半自動機械へ、更には全自動機械へと変わりましたが、刃物加工で発生する曲がり(歪)と刃物を回転させたときに発生する振れの修正は未だに機械化が進んでおらず、職人の巧みの技が頼りです。
現在、4名の社員がこの作業に当たっており、その技が光ります。
この技を継承する為の人材育成と確保いかんで百年企業となるかどうかが決定します。
多くの経営者が会社を大きくして人を増やし、広い敷地で二十四時間稼働できることを望んでいると思うのですが、私は小さいながらもこの会社で社員が仕事をできる喜びを感じ家庭円満な生活が送れるように、配慮したいと思っています。
その為には、他社がやらない、真似することの出来ない製品を作ることが肝心であり、人を育てる事に残りの人生を費やしたいと考えています。