皇大神社の他に、近隣12社の祭典を各社総代会・氏子・崇敬者の皆さまのご協力を得て当社宮司が執り行っております。
以下の神社へのお問い合わせは、各社総代会長、または皇大神社までご連絡下さい。
また、各種ご祈祷も皇大神社社殿にて執り行っております。皇大神社へご連絡下さい。
皇大神社☎︎ 06-6481-6170
※各社「主祭神」欄のご神名をクリックしていただくと『尼崎市神社あんない』ホームページの「尼崎市内の神さま紹介」に移動します。神様のご神徳など詳しくご覧いただけます。
◇潮江 素盞嗚神社 (しおえ すさのおじんじゃ)
主祭神 素盞嗚尊(すさのおのみこと)玉依姫命(たまよりひめ)
例祭日 10月第三日曜日
鎮座地 潮江2丁目38-5
≪お社の説明・御由緒≫
市バス潮江北口下車すぐ西、あるいはアミング潮江下車、北へ3分。当社は牛頭天王および大宮天王祠の別称をもつ。創祀は不詳であるが、後奈良天皇の御世、享禄年間、三好三人衆の一人三好長慶が足利氏に叛き摂津の国を攻略せんとして池田に進軍する折、当社に戦勝を祈願したと伝えられている。社殿はもと小字大宮にあったが、天正年間今の位置に遷され、更に明治2年、無格社糺社を合祀した。境内には幹周り三抱え程の楠がある。社殿は昭和20年戦災を罹り焼失。戦後間もなく仮殿を建立したが老朽化が激しい為、氏子・崇敬者の浄財を募り平成26年12月に新社殿が竣功した。
境内は全国からの参拝者で賑わっている。
◇長洲 貴布禰神社 (ながす きぶねじんじゃ)
主祭神 たかおかみのかみ
例祭日 10月体育の日の前日
鎮座地 長洲中通3丁目8-28
≪お社の説明・御由緒≫
市バス天満神社前下車、東へ約5分。創祀は不詳であるが、平安京遷都の折、調度の運搬を命ぜられた紀伊の紀氏が任務の成就を己が護神に祈願したところ予定通りに事が運び、報謝の為に吉備真備に謀りこの地を定めて社を奉建したと伝えられる。当社は京都鴨社の社領である長洲御厨に位置し、長洲の集落の微高地に建てられ、近くの地層から平安、鎌倉時代の遺物が発見されたことから市の史跡に指定されている。祭神のたかおかみの神は古来雨を掌る神として知られている。また毎年1月には七日座八日座の宮座が催される。境内社には大国天、宇賀大神、妙見宮が祀られ、境内には二抱え余りの銀杏、社殿奥には楠がある。平成23年、総代・氏子らの尽力により、社殿を改修し現在に至る。写真は、改修前の様子。
◇西川 八幡神社 (にしかわ はちまんじんじゃ)
主祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと)
例祭日 10月体育の日
鎮座地 西川2丁目13-20
≪お社の説明・御由緒≫
市バス西川下車南西へ約2分。あるいは神崎橋下車南西へ約3分のところに位置する。当社は明治6年に村社に列せられ、大正4年、一旦神崎須佐男神社に合祀された。昭和23年、氏子の強い要望により旧社殿に奉遷した。創立年次は不詳だが、燈籠および手水鉢に宝暦年間の寄進とあり、それ以前の鎮座と思われる。祭神の誉田別命は第十五代応神天皇の別名。
◇神崎 須佐男神社 (かんざき すさのおじんじゃ)
主祭神 須佐男命(すさのおのみこと)
例祭日 10月第体育の日
鎮座地 神崎町11-23
≪お社の説明・御由緒≫
市バス神崎より西へ約3分、神崎浄水場の近く。当社の鎮座地である神崎は、古くより京の都から南海、西海、山陽への出口に当たり、大層栄えた様子が『遊女記』などに見える。当社の創祀は不詳であるが、氏子奉献の手水鉢には享保十七年と記されたものがある。昭和48年、前社殿の老朽化に伴い近代的な社殿に改築された。
◇高田 素盞嗚神社(たかだ すさのおじんじゃ)
主祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)
例祭日 10月体育の日
鎮座地 高田町20-38
≪お社の説明・御由緒≫
市バス額田より南東へ約3分のところ。神崎川と藻川とが合流するあたりに位置する。創祀は不詳だが、鳥居に享保戊戌の年号があり、それ以前の鎮座である。明治6年に村社に列せられ、大正6年には神崎須佐男神社に合祀されたが、昭和23年、旧奉斎地に遷座され現在に至る。
◇額田 白井神社 (ぬかた しらいじんじゃ)
主祭神 天之手力男命(あめのたぢからおのみこと)
例祭日 10月体育の日
鎮座地 額田町19-17
≪お社の説明・御由緒≫
市バス額田で下車、北東へ約3分のところ。創祀は不詳である。明治6年村社に列せられ大正4年には神崎須佐男神社に合祀されたが、氏子の強い要望により昭和23年、もとの奉斎地に社殿を再建し遷座された。更に昭和62年、鉄筋コンクリート造りの新社殿に改築され現在に至る。末社に稲荷社がある。
◇善法寺 白井神社 (ぜんぽうじ しらいじんじゃ)
主祭神 天之手力男命(あめのたぢからおのみこと)
例祭日 10月第四日曜日
鎮座地 善法寺町14-15
≪お社の説明・御由緒≫
市バス小中島下車、東へ5分のところ。創祀は不詳であるが、正徳年間の付込帖写しには白井天祠と見えており、それ以前の鎮座であると考えられる。明治6年に村社に列せられる。村の池の売却に伴い昭和58年、農会の助力により木造瓦葺の新社殿に改築され現在に至る。
◇大門嚴島神社 (だいもんいつくしまじんじゃ)
主祭神 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) 伊奘諾命(いざなぎのみこと)
例祭日 10月体育の日の前日
鎮座地 長洲中通2丁目4-48
≪お社の説明・御由緒≫
市バス工業高校で下車南へ3分、尼崎小田高校西門の西側にある。以前、当社より北に多可宮と称される宮があり、それと対をなす格好で低宮と呼ばれていた。『日本書紀』には、祭神の二柱の神は共に履仲天皇の祝に出現され、さのため天皇は車持君に悪解除・善解除を負わせて長渚崎で禊祓い(みそぎはらい)を命じられたと記されている。長洲浜の開発行基五泊の一つである大河尻の修造の際、当地に縁りの深い神々として奉斎されたものかと思われる。平成7年の震災後社殿を改築。境内に白龍大神を祀る。また毎年1月には伊勢講が催される。
◇天満神社 (てんまじんじゃ)
主祭神 菅原道真(すがわらのみちざね)
例祭日 10月体育の日の前日
鎮座地 長洲本通3丁目5-1
≪お社の説明・御由緒≫
祭神の菅公は古くより学問の神として尊崇され、公にまつわる幾つかの伝承が残る。その一つに大宰府左遷の折、長洲の浦に舟待ちされ、村人は公より「人知れず移る涙は津の国の長洲と見えて袖とぞ朽ちぬる」の歌と自画像を賜った。公の没後、その徳を称えて叢祠を建て画像を奉斎したが、後世領主が他に移封された折に画像を強いて持ち出したところ凶事多く、返却したという伝えがある。本殿は棟札によると慶長12年の創建で桃山時代の様式をよく伝え、市の文化財第一号に指定されている。また本殿の野板から出てきた絵馬が市により修復され、尼崎で最も古いものとして再現された。平成2年に社殿が改築されたが、阪神淡路大震災により被災、平成8年再建。その後平成11年火災に遭うも翌年氏子の尽力により修復され現在に至る。また毎年2月には宮座が催される。
◇吉備彦神社 (きびひこじんじゃ)
主祭神 吉備真備(きびのまきび)
例祭日 体育の日の前日
鎮座地 金楽寺2丁目17-1
≪お社の説明・御由緒≫
市バス天満神社前より西へ約3分。遣唐使として唐から様々な文物を持ち帰り、我が国の学芸に貢献した吉備真備が祭神で、元禄14年に出された『攝陽郡談』には、吉備公がこの地に錦楽寺を造営し唐から持ち帰った土を埋め、その地に叢祠を建て、一品天神として祀った旨が記されている。神社の屋根瓦にも一品宮と記されたものが使用されている。また境内は歴史時代の貝塚跡で、昭和36年小規模な発掘調査が行われ、土器、漁具、瓦、土製品、古銭など様々な遺物が出土した。現在、市の遺跡に指定されている。境内社には稲荷社がある。
◇王子八幡神社 (おうじはちまんじんじゃ)
主祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと)
例祭日 10月体育の日の前日
鎮座地 尼崎市常光寺
≪お社の説明・御由緒≫
王子イメージングメディア㈱神崎工場の敷地内に鎮座する。神社本庁所轄の神社ではないが、古くよりこの工場(旧王子製紙神崎工場)及び社宅住民の守護神として崇敬がある。毎月1日に工場の稲荷祭に合わせ月次祭が行われる。